◯あずのぶろぐ

嘘みたいに今日もいつか思い出に変わるように

大好きなロックバンド

好きだけどいつのまにか聴かなくなっちゃったり、それでもいざ、曲が流れたら無意識に全部歌えたり、あまりにも青春の思い出が詰まっている音楽だったり。

わたしにとっていわゆる"邦楽ロックバンド"を聴き始めるきっかけとなったのがflumpoolだった。

忘れもしない、中学生の時。
コブクロ目当てで見たMステに、ニューカマーとして出演していたflumpool
当時、LISMOのCMでよく耳にしていた"花になれ"

隆太さんの中性的なあたたかい声と、一瞬で引き込まれるキャッチーなメロディ。そして、ロックバンドらしい荒々しさ。当時流行っていたJポップしか聴いていなかったわたしは、経験したことのないくらい胸がドキドキしたのを覚えている。

すぐに近所のTSUTAYAでアルバム"Unreal"を借り、ラジオを毎週聞くようになり、関西出身の4人の親しみやすくておもしろいキャラクターも相まってみるみるうちにflumpoolにのめり込んでいった。
(特にドラムの誠司さんが本当に大好きだった、もちろん今も。)

学生時代は時間がある。
多感ゆえに感じることもたくさんある。
音楽雑誌を読み耽り、楽曲を擦り切れるまで聴き、DVDを見尽くしたのはあの頃だったからこそ。
戻れないもの、今できないことがあるとしたら、それはあの、ひたむきな時間じゃないかな。


初めて行ったのは2011年のFantasia of Life Stripeツアーの福岡公演。その頃はファンクラブ先行なんて知らなかったけど、ライブに行きたくて、地元の新聞広告を見て電話をして、チケットを取った。
席は本当にいちばんうしろだった。
それでも高校生のわたしは、初めてのflumpoolのライブにわくわくしてどきどきして楽しくてたまらなかった。

音楽を通して、今まで知らなかった世界に連れて行ってくれた、flumpool。お小遣いを貯めて1枚ずつ集めたCDやDVD。ツアーやライブにもたくさん行った。ファンクラブ(かつてのPOOLSIDE)にも入った。やがて私とflumpoolの思い出は増えていった。

flumpoolがいたから、武道館のOAをしたWEAVERや、対バン相手のNICO、仲良しのLEGOなど今わたしの毎日に欠かせない大好きなバンドを知ることもできた。

高校生になっても、大学生になっても。それぞれの場面で聞きたい曲があった。ライブに行けばめいいっぱいのエンターテインメントで魅せてくれる。そしてリリースされる楽曲はいつだって背中を押してくれる。音楽が好きだという気持ちを思い出させてくれる。flumpoolはわたしにとってかけがえのない存在だった。


はずだった。

今となっては言い訳なんて幾らでもできる。
社会人2年目、忙しく余裕がなくて、それを理由に行けなかったツアーの関西公演。
いや、本当は無理やり行けたのかもしれない。

無意識に距離を置いていたflumpool
あまりにも大切すぎて、濃く、懐かしい思い出が蘇るのがつらくて遠ざけていた。一方的に。

そんな折に誘われたre:imageツアーの福井公演。久しぶりにflumpoolの曲を聴きながら、胸の痛みを少しずつ溶かしながら、その日を指折り数えて待っていた。

突然の福井公演中止のお知らせ。
そして、活動休止。
いろんな噂や感想、憶測が呟かれていた中でいやな予感がしていなかったといえば嘘になる。

ポリープの時の活動休止とはまた違った予感にざわざわした。
隆太さんが月9ドラマに出たことで、世の中にはflumpoolのことを色眼鏡的な要素で見る人(ほんの少しだけど)もいたり、バンドマンならば俳優をする必要はないのでは?メンバー同士の足並みはちゃんと揃ってるのかな?ってお節介ながらも考えたりして。

とても真面目でファン思いのflumpoolのことだから、そんなはずはないのに。それをずっと知りながら応援してきたはずなのにね。勝手に想像してしまった。

それからの私は、ツアーに行かなかったことを悔いて、"とうとい"を聴いては好きだった気持ちに苦しくなって、どれだけflumpoolに救われてきたのか痛いほどわかった。彼らが何に悩んでいたとか、つらかったこととかそういうのが分からなくても、ちゃんと向き合って、大変なときにファンでいればよかった。
いつになるか分からなくても次に復活したときには、絶対に駆けつけて、「おかえり」と言いたいと強く誓った。

そして
復活ファンクラブツアー
flumpool FAN MEETING 〜FM SAKAI 2019〜
選んだのはやっぱり地元の福岡公演。
とてもキャパの小さい会場で、現れたflumpool4人の姿を見たときうれしくてたまらなかった。

1曲目は"花になれ"
デビュー曲でもあり、節目では必ず演奏される(デビュー曲なのに、作詞作曲が自分たちではなかったこととか、そういうの、本当に色々詰まっている)大切な曲。
照明が落ちて、あのイントロが流れると客席から悲鳴があがっていた。
そして、今年の桜やドラマチックに愛を歌う、強く儚くなどの力強い曲が続き、やっぱりflumpoolの音楽が大好きで楽しいと感じていた。

そして、大大大好きな流れ星。(一番最初に買ったアルバム、Fantasia of Life Stripeに収録されていた)
滅多に演奏されないのに、ファンのことを思いながら作ったというこの曲を復活ツアーのセトリにチョイスするあたり、泣けてきた。(ラスサビ前の誠司さんのドラムがまじで好き)

そして、Hydrangea

"誰が選んだ道じゃないし
なのに振り返ってばっか
いつだって悩みの種は尽きやしない
けどモノクロの月の向こうに
流れ星の軌道が見えるかい?
さよならのキヲク抱えて 駆け抜けて"

"流れ星"を歌った次のハイドレンジアの歌詞にも"流れ星"があって。
この2曲の流れが小粋で好きだった。

ハイドレンジアは、迷いながら前に向かっていく歌詞にもう何度も救われたか分からないくらいだし、ベスト盤が出る前はライブでしか聴けなかったりして、さらには一生さんと元気さんもボーカルとして歌ってくれる、ファンにとって大事な曲。
改めて永遠はないし、この先もずっとずっとファンとしてflumpoolの音楽を聴き続けていきたいなと完全復活はしていないかもしれないけれど、懸命に歌う隆太さんと、それを支えるメンバーの姿を見て、そう思った。

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ここまでが2019年3月のわたしが書き残したブログでした。
今回flumpoolコブクロの対バンツアーがあるという事で、復活させてみた。
大好きなんです、本当に。
素晴らしき夜となりますように。

入籍しました

52の日がいいとか96の日がいいとか
ベタに令和3年3月3日にしようかとか
(主にわたしが)ごねて、悩んだけれど

縁起がいい日ということで、5/19に入籍しました


どんな未来も、これからは、互いに信じあって許し合って何気ない幸せを大事にしていきたいです

推しは変わらず推していきます(強い意志)

10年分の感謝を

ラジオの周波数を合わせれば、いつも変わらない声でわたしの夜を救ってくれたのはSCHOOL OF LOCK!!(通称SOL)というラジオ番組だった。

平日の夜22時から23時59分まで、歪んだギターで奏でられるチャイムの音と共に、”未来の鍵を握るラジオの中の学校”が開講される。

"未来の鍵(LOCK)"はなんでもいい。
いつかそれを見つけることがこの番組がある理由だという。

ラジオ番組を学校に見立てて、放送は"授業"であり、パーソナリティは"校長"、"教頭"という愛称で、ゲストは"先生"
そしてリスナーは"生徒"と呼ばれるユニークなスタイル。

2020年3月をもって、10年聴き続けてきたこの番組がリニューアルされるため、こうやって超個人的な思いの丈を綴ることにした。

過去にしっかり向き合いたい気持ちと、並々ならぬ思い入れの強さのあまり、この記事を書くことにもかなりのエネルギーと期間を要した。(にしても要しすぎた)

スマホや携帯電話が今のように発達していなかったわたしの学生時代は、ラジオから流れてくるものが世界のすべてだった。

親に寝なさいと言われないように、布団の中でボリュームを最小にして聴いていた、ラジオ。ちょっと背伸びしていたような感覚も覚えている。

大きな地震があった日、台風の日、大事な試験の前日、大学入試の合格発表の日、失恋した日、一人暮らしを始めた日、悲しくて悔しくてたまらなかった日。
どれだけ心細い夜も、会ったこともないけれど、声で繋がってる校長や各時代の教頭の声、そして流れてくる音楽を聴けば無性にほっとした。

いつ聴いても同じ声で話してくれている安心感とあたたかくて押し付けがましくない、代えのきかない媒体。


そんなSOLには、とーやま校長という校長がいた。
お笑いが趣味で、(という設定。お笑い芸人の某トリオの方)わたしが聴き始めた時代のSOLはこのとーやま校長が2代目校長を務めていた。

今回のリニューアルとは、とーやま校長が10年務めた校長を退任するに伴って、番組が少し変わるというもの。

SOLを初めて聴いたのは、2010年11月1日で、当時警備員(という設定)だったflumpool目当てだった。
その日は、学校がつらいという生徒の悩みを聞いたとーやま校長が、ゲストの阿部真央さんの曲を聴いていろんな思いが溢れてぼろぼろ泣いていて、当時どんなラジオなんだよってびっくりした記憶がある。

学生時代って、正しいことだと分かっても、大人が言うことを信じられなかったり、受け入れたくなかったり独特のどこにもぶつけられない感情があると思う。

そんなときでも、ラジオから流れてくることは素直にそうだなぁって思えたし、同じ目線で心の芯のほうに寄り添ってくれる力があるんだと感じさせられた。

毎日いろんなテーマの授業が行われ、アーティストがゲストで来るときもあれば、生徒に逆電することもあり、時には繊細で難しいことも、全国にいる生徒と一緒に考えたり、分かち合ったり、かけがえのない大事な時間を過ごした。

そして、ラジオの中でその日にかかる曲たちは、生徒との電話での内容や毎日必ず授業の最後に書かれる黒板のメッセージを汲み取った秀逸な選曲でYouTubeやサブスクが発展していなかったあの頃、好きになる音楽をキャッチするきっかけだった。
くるり毛皮のマリーズ清竜人Galileo Galilei音速ラインLOST IN TIME竹原ピストル、などここに書ききれないくらい、聞くだけで青春のような時間が蘇る強烈な記憶として脳裏に焼き付いてる。


そんなどっぷり浸かった10年を経て、そりゃ聴かなくなった時期だってあったけれど、確かにそこに"いてくれる"ことがどれだけ支えになっていたか。

とーやま校長がいなくなるって知ってから初めて、今までの、この当たり前になっていた時間がどれだけ大事だったかと気づいた。

10年間という長い間、そして10代という多感な時期にずっとそばにいてくれたもの。

寂しい夜も、なんとなく心がしんどい夜もどんな時だって、ラジオをつければ聞こえてくる声。変わらない温もり。
思ってる以上にわたしの心の拠り所であり、いつでも支えられていた。

ラジオなのに喋れなくなるくらい生徒の話に泣いたりするとーやま校長が好きだった。
誰よりも人間らしくて大人なのにわたしたちに近い。
そんな校長が大好きだった。


だから、10年分の感謝を。



2020年3月31日、とーやま校長の最終日のラジオは笑いながら泣きながらの校長に涙が止まらなくて、信じられないほどわたしも泣いた。


俺の10年は君の10年だ、と言ってくれた。

ありがとう、とーやま校長
リニューアルしても、たくさんの生徒が救われるんじゃないかな。

最後に、SOLの中で、とーやま校長へ手紙を書く企画があったので、ありったけの感謝を手紙にしたためて送ったら、とーやま校長が返事を書いて返してくれた。


わたしの今までの人生まるっと救われた気がした。


毎日一生懸命生きることが、校長への最大の恩返しだと思うから、もらった熱い言葉たちを抱きしめてこれからも頑張っていこう。

わたしはSCHOOL OF LOCK!!が大好きです。

2月も、

早いなぁとは思うけど、そんなに倍速な訳でもなく、相変わらず仕事が特別楽しいわけでもなく。忙しい日々の中では楽しいことを楽しいと思う時間をつくることさえも労力がいることを身をもって感じている。
それでも大切な人たちとの時間を支えにして日々生きていく。目的をもってギラギラしていなくても夢をひたむきに追えてなくても今に相応しい生き方があるのでは。時がやがてうつろように、なるようになる。そういう時期もあってはいいのでは。自己肯定感を大切にしなきゃ誰が自分を幸せにするの?自分がどう思われているのかなんて気にするだけ無駄だと言うけれど、去年はそんな自分が今までより強くなれた気がする。馬鹿馬鹿しいことに振り回されたり、びびったりむかついたりもしたけど、なんでわたしがこんな気持ちにならないかんの?の反骨精神というかメソメソ悲しむより単純な怒りみたいな、健全な強い心をつくる要素を手に入れた。予想外の転勤で引越しもしたし環境も変わって戸惑うこともたくさんあった。ストレス解消に運動がいいかもと思ってジムにも通い始めた。そして今年は去年よりも自分と向き合うのが目標。去年は忘れたいことが多すぎて仕事の記憶は業務上必要な最低限の知識以外は会社を出ると抹殺していた。今思えば滑稽な気もするけれど自分を守るためだった。見えないところが見えてくる。大人ってそういうものでは。自分の身を守るのは自分。どうにかするもの自分。時には心に蓋をしてへらへらして手の内を見せないようにするのも、厄介な上司を掌で転がすのも。でもやっぱりどこかで信じていたい、なんて思ってしまうんよね。

強い女になりたい。

towaie

あけましておめでとうございます。

とはいえ、年始の雰囲気も全くなくなってきた2019年1月。
世間は既にバレンタイン特集に春服入荷。プラス新年いきなり体調を崩してしまったわたしは、今年こそは着実に生きようと固めたこの心意気を早々に砕かれている。

2018年は、ブログを書きたいと言いつつも仕事から帰ると、ごはんをつくり(作り置いてることが多かった)、YouTubeや録画してるテレビを見ながら食べる。お風呂に入り、食器を洗って翌日の弁当を詰める。そしてラジオを聴きながらLINEを返したりスマホをだらだら見てるだけでもうひたすら眠くなったりして余裕はあまりない日々たち。

この繰り返し。料理は結構がんばったんだけどなぁ。


こんな日々を続けることがこれからの人生であり、大人になるということであるのならば、疑問を持たずにはいられない。(これが幸せということもあるけど)
ちょっと寂しくないかわたし?笑
なんて疑問を抱きつつも。

自分で選んだ道である。
不満なのであれば現状を打開する術や勇気、行動力を持てばいい。
そこに彩りを添えるのはなに?
きっと人それぞれなのだから。


コブクロの「LIFE」にもあるように、結局はそれぞれの心の持ちようで、どうせならば前向きに楽しく生きる方がおもしろい。
それがわたしの心の機嫌で変わるのなら。
自分の機嫌は自分でとらないといけないと思っているし、そのための手段はちゃんと把握していたい。

ということを念頭において、今年は(今年も)、明るく楽しく生きていくのが目標です。
理想は、いつもニコニコしてる人でありたい。そして、ちゃんと"気づける"人になること。
無理したり、偽ったりするのは良くないけれど、しあわせが寄ってきたり、いい子だなぁって思ってもらえるのはきっとこういうことが自然にできてる人なんだと去年強く感じたから。

もちろん休日は遊びに行ったり、好きな人たちとごはん食べたり、ゆっくり寝たり、ライブに行ったりして自分を甘やかす。
そして、ちょっぴりでもいいから勉強する。

わたしはポジティブ野郎ではなく、どちらかと言うとクソネガティブなので、そういう時は思いっきり暗めの曲や屈折した曲を聴いて発散している。

でもひとつ思うのは(思いたいのは)、どんな環境にいても、今起きていることは自分に必要なことだと思うこと。わたしの場合は、あとから思い返すとそうだなと思うことが多かった。人との繋がりも、後から思うと意味があって、だからこそ出会えた人もいる。(嫌いな人も苦手な人も理不尽なこともたくさんあるけど)何が起きるか分からないこのちっぽけな人生を、分からないから楽しいのかもって思いながら生きていたいなぁと思うのです。

"嘘みたいに今日もいつか思い出に変わる"のだから。(このブログのタイトルはNICOのさっかん作詞のEndless rollより)


これがわたしの目標!!
あとこれはタイミングというか、まだ早いのかもだけど、今年結婚できたらいいなぁ、、、、笑


人の雑記みたいなブログが大好物なのでわたしもそれに倣ってあまり推敲せず書き連ねてみたけれど、こんな感じで考え込むことなく、活字を吐き出すことで、リフレッシュしていけたら、いいなぁとおもう、、、


追記:タイトルtowaieは大好きなドレスコーズの楽曲より。美しくて儚くて志磨さんらしいだいすきな曲。

#わたしのコブクロ宮崎遠征準備

こんばんは

2日後に迫った、コブクロの20周年宮崎ライブ。

すでにフェリーや飛行機で出発しているファミさんもいて、コブクロのことが大好きなたくさんの人たちが、宮崎という特別な場所を目指して、いろんな想いや事情を抱えながら、向かっていると思うと泣きそうです。
でも、2人を祝う気持ちと、目的地は同じ。みんなでおめでとうって言いたい。行けない人の想いだって、わたしが、わたしの拍手や歓声に込めて届けたい。

それぞれの旅が始まっている、とおもいます。


こんなクソ重い気持ちでライブに行ってる人もなかなかいないんじゃないかと思ってるのだけれど、それもコブクロライブの醍醐味なので許してほしい。


ところで、#わたしのコブクロ宮崎遠征準備
というタグを軽率につくってみたら、大好きなフォロワーさんが丁寧にイラスト付きでツイートしてくれたり、ブログの記事にしてくれました。好き。

遠征の度に前日に慌てて準備してしまう、準備と向き合うことで、もう終わっちゃうのかと寂しい気持ちを先延ばしにしたい、なんて
当てはまる全ファミに届けばいいな、加えて、こんなことがあったなという備忘録をも含めてあまり考えずに書き連ねていこうかなと。


以下、わたしが持っていくものです。

◯チケット
チケットを忘れないようわたしは当日チケットチケットと呟きますのでうるせえなとおもわないでください、よろしくお願いします。

◯EMTGカード
今回は電子チケットじゃないので、絶対に忘れないで!!!!わたし!!!!

スマホ
いま使ってるケースは外して汚れてもいいような透明のケースにする予定。

◯財布
わたしはWEAVERのグッズで買った布製のひらべったく、小さめのものを使います。ファスナー付でそこにICカードやチケットを入れることができて便利。できるだけコンパクトなものがいいかと。
大きめのお金は予め崩しておくと便利かも。

◯充電器
はい、コブクロのOTOツアーの充電器を持ってきいましょう。薄くて最強。

◯飲み物
ペットボトル2.3本は欲しい。持っていくのは重いけど、お茶、お水とスポーツドリンクは各1本ほしいところ。小渕さんのブログにも書いてあったとおり、みんなで持っていこう……

◯日焼け止め
こまめに塗り直しましょう。顔用でメイクの上から使えるものもあるし、ちゃんと塗り直します。ああでもコブクロに夢中になってたら塗り直すの忘れそう……

◯リップクリーム
くちびるも日焼けしちゃう……

◯タオル(バスタオルとマフラータオルとハンドタオル)
バスタオルは日除けや、身体が冷えた時の応急処置に。マフラータオルは首に巻いて首の日焼けを防ぎたい。汗も拭きたい。首だけ焼けるのあるあるだからさ!!!ハンドタオルは御手洗用です。

◯うちわ
センスもいいけどグッズになってたのでうちわをチョイス。ちなみにビオレの冷シートで拭いたあと、あおぐとあら不思議、冷気を感じます。

◯帽子(つばのあるもの)
わたしはかわいい<<<完全防備で焼きたくない
主義なので、しっかり帽子をかぶって楽しみます。

◯カッパ
傘の持ち込みは禁止。野外の天気は変わりやすいもの。雨や今回アナウンスされている放水に備えて持っていきます。

◯レジャーシート
ひとり分の大きさを。ここにも思いやりを。

◯パーカー等の羽織るもの
夜はきっと冷えるので何か羽織るものがあると安心。UVカットのパーカーを選べば日焼け対策にもなって昼晩どちらも使えます。

◯汗ふきシート
→ビオレのひんやりする冷シート(https://www.kao.com/jp/corporate/news/2018/20180112-003/)が最強。身体を拭くだけで体感温度が下がります。汗も引くし、ひんやりするし、これは本当におすすめ。わたしはこの夏、これで暑い野外を乗り切りました。

◯塩キャンディ等のタブレット
ダカラのタブレットとか、いろいろあります。熱中症対策に。

◯日焼け止め
こまめに塗りなおしたい……焼けたくない……いやコブクロで楽しかったら焼けてもいいけど……

ビーサン
放水でどれだけ濡れるかわからないしね。100均で売ってるよ。

◯ゴミ袋
リュックに被せれば雨避けに、はたまた自分のゴミ入れに、着替え入れに、お尻に引く、など用途がありすぎて困る。

◯ウエットティッシュ
食べる前にサッとウエットティッシュ。汚れもサッと拭けちゃうウエットティッシュ。ウエットティッシュ大好き。

◯目薬
野外だと砂埃が入ることも。今回は芝生だから大丈夫だと思うけれど、あるに越したことはない。

◯コンタクト
これはわたしのメモ用です。同じくコンタクトコンタクトとつぶやいているとおもうのでよろしくお願いします。

◯冷えピタ
飲み物と一緒に保冷バッグに入れておく。首元を冷やしたり、万が一具合が悪くなったとき用です。

◯絆創膏
◯ポケットティッシュ

◯ヒヤロン
暑いとおもうので、念のため。

◯着替え
念のためパート2。

◯ボールペン
念のためパート3。アンケートってあるのかな?

これらを用途別にジップロックに詰めて(雨対策兼整理できるので)、わたしは無印の肩が痛くならないというリュックと(ほんとですか)、小さめのサコッシュに入れる。そして、ライブ中はサコッシュを肩にかけて臨む予定。

服装は実はまだ悩んでるのでみんなの声をきかせてくれー!!!
帽子を被るから、三つ編みとか下の方でお団子とかちょっと髪型に凝ってみようかな。


野外で聴くコブクロは特別でしょう!!!
ロマンチックなふたりのことだから、きっと時間帯に合わせて選んでくれる曲なんてのもあるのでは、、、
どんなライブになるのか、どんな気持ちになるのか、コブクロ2人の想いが詰まった、いろんな瞬間をぎゅっと抱きしめるように、大切に、宮崎でのライブを楽しみたい。

いちばんは2人に感謝とお祝いを伝えること。

これだけは必ず成し遂げて帰ってきます。
(あと故郷で自然と出るんじゃないかと思っている小渕さんの宮崎弁を聞き漏らさないかわいい)

緊張でお腹痛いです(安定)

小渕さんが言うように、記念すべき20年目の扉を一緒に開けることができるのがとても嬉しい。

それぞれの、忘れられない旅になりますように。

サンキュー梅ックス

忘れらんねえよ
一見強烈なインパクトを残すこのバンドは、大げさに言えばわたしの青春のすべてに寄り添ってくれたロックバンドである。

10代や20代の多感な頃に聴いた音楽はその人を創るという。

わたしにとっての忘れらんねえよは間違いなくそれだ。

あの日からどれだけ経っても、未だ信じられず、書き綴ることができなかったがこうして残すのは自分の為である。


よく晴れたGWの中日の5月1日。
わたしは東京に向かっていた。サンキュー梅ックス、と銘打たれた梅津さんのラストライブがZepp Tokyoで行われるからだ。

中継もされるとのことだったけれど、やっぱりその場にいたいし、感じたい。ただ、その思いだけだった。先行に尽く外れ、それでも何とか追加販売でもぎ取ったチケットを手に、始まってほしいような、ほしくないような。なんとも言えない気持ちでいた。

今日、大好きな忘れらんねえよからベーシストの梅津さんが脱退する。
その重みに、変えられない事実に、向き合うにはあまりにも濃厚に、わたしの青春は忘れらんねえよとともにあった。

高校生の時、なんとなく検索していたYouTubeで見つけた忘れらんねえよ
何度もライブに行き、擦り切れるほど曲を聴き、CDを揃えた。
うまくいかないときも、悔しくてたまらないときも、いつだって何度も救われた。
少しひねくれたわたしにとっては、どんな音楽でも埋められない、忘れらんねえよだけが救ってくれる日々があった。

忘れらんねえよは終わらない。作詞作曲をしているフロンマンの柴田さんはそのままだし、梅津さんだってこれからも音楽活動を続けるとアナウンスされている。
解散や活動休止に比べたら、と。

そうは言っても、ドラムスの酒田さんの突然の脱退後、忘れらんねえよは、マシータさんやヒロキさんの力を借りてふたりでやってきたのだ。忘れらんねえよにとっての、柴田さんにとっての、梅津さんの脱退はきっとほかのバンドよりも一層重みを持つ。

思えば酒田さんが脱退したとき、わたしはもう忘れらんねえよを見るのを辞めようと思った。3人で貫く、泥臭くてかっこ悪くてかっこいいバンドの形が好きだった。
それでも2人になっても、今まで以上にめいいっぱい楽しませてくれた。新しい忘れらんねえよのステージにわくわくした。

梅津さんまで抜けたらどうしたらいいの、

そんな思いでいっぱいのわたしは、柴田さんがつぶやく前向きなSNSでの言葉も、コメントも、ちゃんと消化できなかった。分かってはいるけれど、と言い訳しながら。

会場に早めについたものの、今までのライブでは見たことがないほどのグッズに並ぶ長蛇の列に驚いた。狙っていたTシャツは完売してしまったので、タオルを購入した。もうこの時点から、このライブに賭ける並々ならぬファンの思いを感じた。
ほかにも梅津さんへのメッセージを書くことができるよう、大きいフラッグが物販横に設置されていて、ファンの溢れんばかりの愛の言葉で埋め尽くされていた。

いざ開場に入る。
Zepp Tokyoはとてつもなく広くて、さびしくて。ここが埋まるのかこっちが心配になるくらい、広かった。

始まる前のBGMはいつものようにバンドの曲が流れるのだけれど、開演する直前に流れたのがバニラズのオリエント。

実はオリエントはわたしにとって特別な曲だ。

"僕を駆り立てるここは東京"

そのフレーズに、ひとりよがりの運命と、東京まで来てる事実を実感しながら。

いつものように、フロア後方から登場する柴田さんとワタリドリ。
始まってから終わるまで、わたしは何度も噛み締めた。この瞬間を絶対に忘れたくなかった。

"もうこの曲を梅津さんが弾くことはない"

その事実に気づきながら、気づかないふりをしながら、でもちゃんと胸や脳裏に刻みながら。

涙はもう最初から止まらなかったし、分かっていた。
楽しくて笑った、笑いながらぼろぼろ泣いた。自分の中のこれまでのいろんな景色や感情を思い出した。そして、周りの泣いてる人たちを見て、さらに泣いた。

柴田さんだって、今日は泣かない、楽しいって気持ちしかないって言ってたくせに、途中からかっこわるいよ。こっちまで泣いちゃうじゃない、ずるいよ。わたしだって、かなしいよ。

楽しくあろうと蓋をするように一方でどこか冷静だ、なんて、不思議な気持ちだ。
ロックンロールってこんなにも熱くて切なくて、胸をゆさぶられる。


演奏される曲は、どの曲も忘れらんねえよのことを歌っているようだった。まるでこんな日が来るということが分かっていたかのような、フレーズたち。

そして、梅津さんの門出を祝うために駆けつけてきた親交のあるバンドマンたち。

みな、終わりに目を背け続けていたような気がする。
特に、柴田さんが一番そうだったように見えた。

詳しい曲は、ototoyで充分綴られてるから割愛するとして、でもただひとつ言わせてほしいのは、ゾンビブルースから始まったのはとてもずるい。

"終わりは何も無いぜ 終わりすら見限ったぜ
最後は笑い死ぬぜ 涙は見限ったぜ

泣いてんじゃねえよ 叫んでみろよ
お前のやりたいこと 叫んでみろよ
(ゾンビブルース)"

わたしは2013年の無観客ワンマンをニコ生で観ていた。
どうしようもなくくだらない彼らが好きだった。

不意に柴田さんが、チャットモンチーを見たのはこの会場だと言って間髪入れずハナノユメのイントロが流れて鳥肌が立った。
そんな大切な会場で仲間と自身の門出を祝う、ドラマチックにもほどがある。

柴田さんが涙声で客の前で何度も、梅津さんに向けて「ありがとう」を繰り返す。「楽しかったよ」「今までありがとう」を何度も何度も繰り返す。
それはいつもの2人だけの空間、築いてきたその関係性、少しの本音を覗き見しているようで、胸が締め付けられる。

いろんな感情が混ぜこぜになったけれど、柴田さんが言った言葉が全てだ。

"ロックンロールはなんてやつだ"と。

忘れらんねえよはロックンロールを教えてくれたあの日から、突き抜けるようなワクワクした楽しさだけではなく、胸をしめつけるこのえも言われぬ感情までもしっかりとわたしの心に刻んで。


"最後の言葉を探している
それが見つかりゃいなくなる
なんだっていいよ 正解は僕らの中にあるんだ
あるんだ

この高鳴りをなんと呼ぶ
たぶんそれは 生きていくと言う
なんだっていいよ
神様 僕らは世界を変えんだ
(この高鳴りをなんと呼ぶ)"

最後は梅津さんを残し、3人が去って、このうねるような轟音をもう忘れらんねえよで聴くことはないのかという実感のないままライブは終わった。


これからもわたしは彼1人になった忘れらんねえよを嫌いにはなれない。
平成最後の年、チャットモンチーが完結したように、わたしの青春にも区切りがきた。

ありがとう、柴田さん。そして梅津さん。
ずっと、忘れらんねえよ