◯あずのぶろぐ

嘘みたいに今日もいつか思い出に変わるように

サンキュー梅ックス

忘れらんねえよ
一見強烈なインパクトを残すこのバンドは、大げさに言えばわたしの青春のすべてに寄り添ってくれたロックバンドである。

10代や20代の多感な頃に聴いた音楽はその人を創るという。

わたしにとっての忘れらんねえよは間違いなくそれだ。

あの日からどれだけ経っても、未だ信じられず、書き綴ることができなかったがこうして残すのは自分の為である。


よく晴れたGWの中日の5月1日。
わたしは東京に向かっていた。サンキュー梅ックス、と銘打たれた梅津さんのラストライブがZepp Tokyoで行われるからだ。

中継もされるとのことだったけれど、やっぱりその場にいたいし、感じたい。ただ、その思いだけだった。先行に尽く外れ、それでも何とか追加販売でもぎ取ったチケットを手に、始まってほしいような、ほしくないような。なんとも言えない気持ちでいた。

今日、大好きな忘れらんねえよからベーシストの梅津さんが脱退する。
その重みに、変えられない事実に、向き合うにはあまりにも濃厚に、わたしの青春は忘れらんねえよとともにあった。

高校生の時、なんとなく検索していたYouTubeで見つけた忘れらんねえよ
何度もライブに行き、擦り切れるほど曲を聴き、CDを揃えた。
うまくいかないときも、悔しくてたまらないときも、いつだって何度も救われた。
少しひねくれたわたしにとっては、どんな音楽でも埋められない、忘れらんねえよだけが救ってくれる日々があった。

忘れらんねえよは終わらない。作詞作曲をしているフロンマンの柴田さんはそのままだし、梅津さんだってこれからも音楽活動を続けるとアナウンスされている。
解散や活動休止に比べたら、と。

そうは言っても、ドラムスの酒田さんの突然の脱退後、忘れらんねえよは、マシータさんやヒロキさんの力を借りてふたりでやってきたのだ。忘れらんねえよにとっての、柴田さんにとっての、梅津さんの脱退はきっとほかのバンドよりも一層重みを持つ。

思えば酒田さんが脱退したとき、わたしはもう忘れらんねえよを見るのを辞めようと思った。3人で貫く、泥臭くてかっこ悪くてかっこいいバンドの形が好きだった。
それでも2人になっても、今まで以上にめいいっぱい楽しませてくれた。新しい忘れらんねえよのステージにわくわくした。

梅津さんまで抜けたらどうしたらいいの、

そんな思いでいっぱいのわたしは、柴田さんがつぶやく前向きなSNSでの言葉も、コメントも、ちゃんと消化できなかった。分かってはいるけれど、と言い訳しながら。

会場に早めについたものの、今までのライブでは見たことがないほどのグッズに並ぶ長蛇の列に驚いた。狙っていたTシャツは完売してしまったので、タオルを購入した。もうこの時点から、このライブに賭ける並々ならぬファンの思いを感じた。
ほかにも梅津さんへのメッセージを書くことができるよう、大きいフラッグが物販横に設置されていて、ファンの溢れんばかりの愛の言葉で埋め尽くされていた。

いざ開場に入る。
Zepp Tokyoはとてつもなく広くて、さびしくて。ここが埋まるのかこっちが心配になるくらい、広かった。

始まる前のBGMはいつものようにバンドの曲が流れるのだけれど、開演する直前に流れたのがバニラズのオリエント。

実はオリエントはわたしにとって特別な曲だ。

"僕を駆り立てるここは東京"

そのフレーズに、ひとりよがりの運命と、東京まで来てる事実を実感しながら。

いつものように、フロア後方から登場する柴田さんとワタリドリ。
始まってから終わるまで、わたしは何度も噛み締めた。この瞬間を絶対に忘れたくなかった。

"もうこの曲を梅津さんが弾くことはない"

その事実に気づきながら、気づかないふりをしながら、でもちゃんと胸や脳裏に刻みながら。

涙はもう最初から止まらなかったし、分かっていた。
楽しくて笑った、笑いながらぼろぼろ泣いた。自分の中のこれまでのいろんな景色や感情を思い出した。そして、周りの泣いてる人たちを見て、さらに泣いた。

柴田さんだって、今日は泣かない、楽しいって気持ちしかないって言ってたくせに、途中からかっこわるいよ。こっちまで泣いちゃうじゃない、ずるいよ。わたしだって、かなしいよ。

楽しくあろうと蓋をするように一方でどこか冷静だ、なんて、不思議な気持ちだ。
ロックンロールってこんなにも熱くて切なくて、胸をゆさぶられる。


演奏される曲は、どの曲も忘れらんねえよのことを歌っているようだった。まるでこんな日が来るということが分かっていたかのような、フレーズたち。

そして、梅津さんの門出を祝うために駆けつけてきた親交のあるバンドマンたち。

みな、終わりに目を背け続けていたような気がする。
特に、柴田さんが一番そうだったように見えた。

詳しい曲は、ototoyで充分綴られてるから割愛するとして、でもただひとつ言わせてほしいのは、ゾンビブルースから始まったのはとてもずるい。

"終わりは何も無いぜ 終わりすら見限ったぜ
最後は笑い死ぬぜ 涙は見限ったぜ

泣いてんじゃねえよ 叫んでみろよ
お前のやりたいこと 叫んでみろよ
(ゾンビブルース)"

わたしは2013年の無観客ワンマンをニコ生で観ていた。
どうしようもなくくだらない彼らが好きだった。

不意に柴田さんが、チャットモンチーを見たのはこの会場だと言って間髪入れずハナノユメのイントロが流れて鳥肌が立った。
そんな大切な会場で仲間と自身の門出を祝う、ドラマチックにもほどがある。

柴田さんが涙声で客の前で何度も、梅津さんに向けて「ありがとう」を繰り返す。「楽しかったよ」「今までありがとう」を何度も何度も繰り返す。
それはいつもの2人だけの空間、築いてきたその関係性、少しの本音を覗き見しているようで、胸が締め付けられる。

いろんな感情が混ぜこぜになったけれど、柴田さんが言った言葉が全てだ。

"ロックンロールはなんてやつだ"と。

忘れらんねえよはロックンロールを教えてくれたあの日から、突き抜けるようなワクワクした楽しさだけではなく、胸をしめつけるこのえも言われぬ感情までもしっかりとわたしの心に刻んで。


"最後の言葉を探している
それが見つかりゃいなくなる
なんだっていいよ 正解は僕らの中にあるんだ
あるんだ

この高鳴りをなんと呼ぶ
たぶんそれは 生きていくと言う
なんだっていいよ
神様 僕らは世界を変えんだ
(この高鳴りをなんと呼ぶ)"

最後は梅津さんを残し、3人が去って、このうねるような轟音をもう忘れらんねえよで聴くことはないのかという実感のないままライブは終わった。


これからもわたしは彼1人になった忘れらんねえよを嫌いにはなれない。
平成最後の年、チャットモンチーが完結したように、わたしの青春にも区切りがきた。

ありがとう、柴田さん。そして梅津さん。
ずっと、忘れらんねえよ