◯あずのぶろぐ

嘘みたいに今日もいつか思い出に変わるように

誰にだってイナ戦は響く


まだ二十数年しか生きていないくせに悟った生意気なことを言うと、生きることはたぶん難しくてそれと同時に思うのがドラマチックな出来事なんてそうそう起こらないということ。

10代の頃は何にだってなれると信じて、目の前に出されたものをこなしていればよかった。宿題、部活、塾の課題、好きな人と目が合ったとか、体育祭の練習が辛いとか。そういうたわいもないやつ。家に帰ればあったかいご飯とお風呂が準備されていて、当たり前のように過ぎていく日々。あの頃だってそれなりの深刻な悩みとかあったはずだけど、もうすっかり忘れてるし、振り返るととても恵まれていた。


今はどうだ?


学生の時からは想像もしていなかった街で生きている、一応目標だった職業にも就けた。少ないけれど自由に使えるお金と時間も持っている。


それなのに。


良いこととそうでもないことを数えたらあまりにも切なくなる日々だ。ふとした瞬間に無意識に将来を憂い、今やっていることが果たして身になっているのか不安になる。理不尽な、どこにもぶつけようのない不満ばかりが積もっていく。

もともとそんなものかもしれないが、だからこそわたしには歌が響く。この平凡な何も無い日々に。そりゃ何もないって言ったってほんとに無いわけじゃない。愚痴を言い合える同期もいれば大切にしてくれる人、味方でいてくれる人だっている。それでもつらいなぁと思うことがおなじぶんだけ消化しきれるわけではない。時には気持ちを誤魔化しながら、やり過ごしながら、みな生きているのかもしれない。

そして、生きている以上は自分で選んだ道を進んでいかないといけないし、恵まれた環境や人間関係はもちろん自分で作るものだってことも、もちろんわかっている。
そうわかっていても弱気にもなるしイラッとするしなんだよって思うことが多い。社会人になってからは尚更。
それでも、周りと比べて不甲斐なさに落ち込んでも、がむしゃらな夢がなくても、憧れていたものが色褪せたとしても、俯くより前向いて顔上げて、拳握りしめて、笑って生きていたいと思いたい。そっちのほうが楽しいはずだから。

THEイナズマ戦隊というバンドがいる。
世間的には関ジャニ∞の、ズッコケ男道や無責任ヒーローなどを提供したことでいちばん知られているのではないだろうか。

彼らの歌はひたすら熱くて強くて優しい。
ライブはもっと。音楽を聴きに行っているというより音楽を通してエネルギーというガソリンを身体に満タンに給油してもらいに行っているようだと思う。

社会人1年目のまだひよっこぴよぴよのわたしでもそうだ。背中を力強くぶっ叩いて、ほらって肩を組んでくれるかのような、栄養ドリンクというよりごはんそのもの、ぺこぺこのお腹におばちゃんが作ってくれる栄養たっぷりの定食、みたいな、あったかくてわかりやすくて何より心強いのだ。

それを如実に感じるのがわたしの人生の中で出会ってよかった曲ランキング(ていうのがあるんです)上位に君臨してるのイナ戦の『素晴らしき人生』。


"夕焼けが染めた 哀愁の空だぜ
ほろ苦い旅はロックンロールを心で鳴らして

アイツのために戦って あの娘のために働いて
あなたのためにと思って 気がつきゃ一人で空回りさ
しまいにやけ酒あおって しばらくトイレにこもって
涙でぐしゃぐしゃになって なんだかな〜と呟きながら 素晴らしき人生を

地球の底まで凹んで だけども心はリズムを刻んで
だから何度も何度も立ち上がって
また勲章という名の傷をつくって
新しい日が昇って ありふれた日々を祝って
変わらない日々を祝って 明日も俺達生きて行こう
素晴らしき人生を
『素晴らしき人生』"


ラジオのコマーシャルかなんかで初めて聴いた時、衝撃が走ってこれだと、おもった。わたしが言いたいのは、もやもや思ってたのはこれだ、と。
ちょっとかっこわるくて、うまくいかなくて。ぶつかって、だめだったとしても、なんかなぁと思いながらも、この平凡な日々を、ロックンロールを心で鳴らして生きていけばいいのだ。たとえそれがどんな日でも。

丈弥さんの圧倒的なスター性と(「なあ、エブリバディ」が様になるのは丈弥さんと、エレカシのミヤジとスクービーのコヤマさんだけだと思う)、ぐっと親しみやすい近所のお兄ちゃんみたいな関西弁で、思わず目頭が熱くなったり、声を出してお腹が痛くなるまで爆笑したり。

"いつまでも、この旅は、泣き笑いつづいてくぜ
生きる事の難しさに 立ち止まる事もあるだろ、
中途半端な大人だから 負ける事の怖さを知り
夢と闇、紙一重に逃げ出したくなる事もある、"

"中途半端な大人達よ、よく分かるぜ、でも負けるな
ほら見ろよ 雨上がりの空はこんなにキレイだせ"

酒飲んでたらこれ聴いた人は全員泣く。飲んでなくても胸にぐっとこみ上げるんだから。

わかるよ、わかる。でもな、顔あげてみろよ、と同じ目線になってくれてるところ。捨てたもんじゃないだろ、と笑い飛ばしてくれてるような。
響かない人には響かないのかもしれない、縁がない側の人にとってはそういう音楽なのかもしれない。でも、そんなの味気ないでしょ、わたしは(そう分けるのならば)こっち側でいいし、その音楽を必要としている。

それは彼らがその姿勢を見せてくれているからでもある。かっこわるくても、まっすぐな、かっこいい大人でいてくれてるから。そして、いつだって笑かしてくれるから。

恥ずかしがらずに壮大な目標を立て、それを私たちに伝えてくれて、1歩ずつ進んでいきたいと笑う4人は、ロックスターであり、ヒーロー。
彼らが魂を、人生を賭けた覚悟をそのままぶん投げてくれるから、こっちの胸を強く打つ。

"俺歌ってゆくのが夢やってん この言葉はお前の為やってん
辛くともやれば出来ると 信じる力見せたかってん
この涙はお前の為やってん 有線なんかで流れって
偶然に耳に届いて お前の力になりますように
『メッセージ・ボトル』"


わたしが高校生のとき、10代向けのラジオ番組、SCHOOL OF LOCK!で初めてイナ戦の『応援歌』を聴いた。(因みにこの番組ではセンター試験の前の放送のエンディングで、毎年欠かさず、必ずこの曲を掛けてくれるのだ)
まっすぐな歌声と掛け声、"オイ!!オマエ!!がんばれや!!俺がそばで見ててやるから!!"というストレートな歌詞。
受験を控え、プレッシャーに押しつぶされそうになって落ち込んでいたわたしの気持ちをまるで地面ごと救ってくれるような歌の雰囲気に、今まで聴いていた音楽とは違うものを感じてドキドキした。ざらざらで、ゴツゴツしていて、漢の(こっちの)歌だった。それなのにどこまでも深く優しく、じんわり染み渡る言いようのない高揚感。


何よりも、歳を重ねれば重ねるほど、歌詞に刻まれた意味が濃くなる、より響く音楽だということ。
あの頃聞いたってきっとわからなかっただろうと思うこともある。
応援歌だって、ただの応援ソングだと捉えていたが、例えば働き始めたけれど諦めきれずにもう一度夢を追うことを決めた同僚を励ます歌だとしたら。

そして同じように、まだ分からないことが、苦労が、あるのだろう。
これからイナ戦と人生の酸いも甘いも一緒に経験していけるのだ。なんてワクワクする、心強いんだ。悔しい時は思いっきり歯を食いしばって生きていけばいいんだ。

ライブの年齢層は高めである。強そうなおばさま、おじさまたちが多い。そのまぶしいほどの圧に多少気後れしつつも、ぜんぶ忘れるくらい、ライブは楽しい。おこがましくも、イナ戦をもっと若い人にも聴いてほしい。

イナ戦のキーワードは"がむしゃら"だ。
ゆとり、草食、安定志向。こう揶揄されるわたしたちの世代だって、熱く燃える何かを心に持っている。ぶつかってる。だってこんなにも響くんだから。

"握り拳を空に掲げて 俺達生きていこうぜ
負けないための君の心を 支える歌を歌おう
『GLORY DAYS』"


イナ戦の曲にはいろんな応援歌がある。なかでもわたしは各世代に向けて歌うこの曲が好きだ。どんな毎日でもくじけないで生きていきたいのだ。今日も、ごはんを食べることと同じように、イナ戦を再生する。

"20代がむしゃらに情熱燃やせ
後ろ指さされても気になんかすんな!!
20代リキんで毎日を張れ
がむしゃらも悪くねえぞ

さあ10代 次はオマエ達の番だ
後ろ指さされても気になんかすんな!!
さあ10代見せてくれ青春と根性
がむしゃらで かまわねぇぞ はい ジャンプ!!
『オマエ・がむしゃら・はい・ジャンプ』"